河崎純(「月刊ロシア通信」のためのテキストより)



 3月下旬から4月上旬にかけ、「砂の舞台」という公演のためにモスクワに滞在しました。わたしにとって3回目の訪露になりますが、一つの都市に2週間滞在するということは珍しいことです。音楽のツアー公演は街から街への旅公演。それでも海外公演の時は各都市3~5日は滞在できることが多いのですが。シベリアに流刑された詩人、シベリアに抑留された日本人、日本支配下の満州で生まれアメリカへわたった韓国のアーチスト、少数民族現チュバシ共和国の詩人の言葉。その言葉を引用し、台本を作り、作曲し、ロシア語をはなせない日本人がロシア語で朗読したり、日本語を話せないロシア人が日本語を使ってパフォーマンスしたり、なんとも複雑な状況、奇妙な舞台。それを初対面のロシアの演奏家やダンサーと公演したのでした。飛行機の中で作曲を終え、ダンサーへの演出プランもまとめ、翌日は小道具の買い物。そしてその翌日はもうメンバーとはじめましてでリハーサル、夜にはもう公演。この公演中におこった楽しいハプニングやこの公演のこれから、についてはまたどこかで書く機会があるとおもうので公演以外のモスクワ滞在のことを少し。

 滞在中に起きた最も大きな出来事は地下鉄駅のテロ。アパートで目をさまし、テレビではずっとこの報道。それでもロシア語はほとんどわからず、いったいなにがあったのだろうか…と思っていると携帯電話には日本から心配メールがいくつかはいってきました。やっと事情がわかりかけてくるとその現場はルビャンカ駅。以前にも訪れたことがある私の好きな本屋とマヤコフスキー記念館が地下鉄の出口近くにあり、半日前、慣れない録音機をもって知るよしもなくその駅の音風景を録音などしていました。こわいもの知らずのわたしもさすがに外出は控えめに、とおもいましたが夕方にはけっきょく街へ出ました。テレビで観た死者への献花は確かにあり、立ち止まって祈りを捧げる人々も目にしましたが街や地下鉄駅構内は一見ほとんど変わった様子がありません。ここでついさっき40人程死んだのである。いつもより多少は多いポリスや兵士。しかしいつものように混み合う長い長いエスカレーターを急ぐ人々の行く先には、変わらぬ日々の営みがある。公演のスピーチの時、この作品を作った動機を語り、現在の東京の生と死の希薄さについて話しました。では現在のロシアは?モスクワは?その数日後。長いエスカレーターを往き交う人々とロシア語の喧噪の中で、少しエトランゼの孤独のようなものを感じてしまいました。その孤独とは不安でもあり、時には心地よさでもあるのですが…

 さてある一日、日本語のできる女性がガイドをしてくれることになっていたのですが、観光地ではなく、お願いして彼女が生まれ育った南東の小さな街、遊んだ公園、学校、幼友達が住んでいたアパートを案内してほしいとお願いしました。年齢からいえば彼女はペレストロイカの頃生まれたことになりますが、その街は 60年代くらいにたくさんできたアパートがまだ多く、風景は子供の頃とは変わらないとのことでした。懐かしがって写真を撮る彼女をみているとこちらも楽しくなりました。また、わたしはタガンスカヤに滞在していたのでタガンカ劇場の隣の、役者、歌手のヴィソツキーの記念館にも行きましたが、そこには80年のモスクワオリンピックを中心にした当時のモスクワコーナーがあり、日本でも不参加が決まるまで「こぐまのミーシャ」が流行っていて、5才だった私のもっとも旧い記憶として、ミーシャの歯磨き用のコップを思い出しました。そしてオクジャワが唄うモスクワの街。夜。青いトロリーバス。モスクワではロシアアヴァンギャルドのポスターや、プロパガンダのポスターが土産物になり、「レトロ」音楽コーナーも充実していました。私が参加している石橋幸さんのロシアのアウトカーストの唄のコンサートではもう私も200曲近く演奏しましたが「チョールヌイボラン」や「ヴァニノ港」は、わたしにとってはもうなくてはならない唄です。ロシアでは忘れられつつある唄です。シベリア、マガダンの囚人の唄。

  2年前別の公演で訪れた時、案内された真昼の赤の広場で、10人程の小さなデモ行進を目にしました。先頭はレーニンの肖像を掲げた7~80代の女性。なぜか気になって、とっさに不謹慎にも携帯電話のカメラで撮影。以来わたしの携帯電話の待受画面はこの写真。この街を歩いているとなぜか老婆が愛らしく、目が行ってしまう。スカーフを巻き、首の短い老婆。なぜか視線をはずさない老婆。日本ではあまり見かけない女性の物乞い。酔った男をしかりつける老婆。孫(ひ孫?)をあやす老婆。

 ある晩、新しい世代の実験的な舞台公演を観にゆきました。嫉妬を覚える程の良い出来、そして生活に根付いた劇場システム。日本のメディアの中で、若い女性はチャイルディシュに描かれ、演出され、消費され、いつかは自身がそれを演じるようになる。この舞台に出ていた若く魅力的な女性は大人びてみえた。翌日、本当に偶然のことですが、地下鉄の車両のなかで舞台に出ていた二人の女性に遭遇。昨日の舞台とは違ってまるでじゃれあう二人の小柄な「女の子」。旅と偶然のひいき目で美化していえばまるで天使と再会したよう。行くあてもなく地下鉄に乗っていた私はおもわず彼女たちを追って、同じ駅で降車しようとしてしまいました。我に帰って空いた座席に腰をおろすと、また厳しい顔の老婆。若い女性をみていると確かにスタイルよく造型も整っている。5年前はじめてのモスクワでは、その若い女性たちの迫力のある感じに圧倒されてしまいましたが、今回はこちらが慣れたのか、西欧風に洗練されたのか、メイクの流行か、すこし柔らかく感じました。こちらが言葉を少し覚えたからであろうか?しかしなぜか不思議と、どんな顔の老婆になるのかがなんとなく想像できる気がします。そう思うと、若くきれいな女性達をみては歳を重ねた姿を想像し、くすっ、老婆を見ると娘姿を想像して、くすっ、という感じでなにかテロで危険な時期に「あぶないひと」になりそうなので、必死に我慢しました。しかしこの「直結」感に、なにか貫かれた生の現実感をみるのは考え過ぎでしょうか?

 社会主義時代に生を貫いたあのデモ行進の老婆はいまどうしているだろう。そしてわたしは、この国のなにに呼応しているのか。

 今度はあの天使達と舞台の上で出会えることを願いつつ…    


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モスクワの老婆、または天使たち