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[よど号での読書]
 赤軍派は関西ブントから分派したそうだ。1969年11月5日、大菩薩峠で武装訓練中、53名が逮捕されている。
 1970年3月31日、9名の赤軍派が、福岡に向かう途上の日航機よど号をハイジャックした。その便に医師の日野原重明さんが乗っていた。日野原さんは、高齢化時代の生き方についての著書など多い。よど号のエピソードは『音楽の癒しのちから』(1996、春秋社)にある。赤軍メンバーは日本政府と交渉して平壌に行けることになった。彼らは、機内の乗客に、彼らが持ち込んでいた書籍を希望者に貸すから読んでいていいと言った。日野原さんは、その時に言われた赤軍が持っていた本を手帳にメモしている。
 赤軍の機関誌、レーニン全集、金日成伝、2.26事件…、万葉集、エピクテートス、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』、『白痴』、親鸞、『詩と反詩』、伊東静雄全集、…。
 日野原さんはドストエフスキーの小説を借りて読んだとのこと。『詩と反詩』は黒田喜夫さんの本であろう。伊東静雄さんという、左翼とも革命とも関係なさそうな詩人の名が目に付く。
 乗客は4月3日、79時間ぶりに解放される。その間、機内では4曲のBGMが繰り返し繰り返し流れていたそうだ。これは日航の選曲であろう。
 「グリーン・スリーブス」、「アロハ・オエ」、「ピーナツ売りの娘」(キューバのルンバ)、「印度の唄」(リムスキー・コルサコフ作曲、歌劇「サトコ」より)。 これらを忘れられなくなるほど聴かされる異常体験。それも記録に残した日野原先生はやはり大した方だ。




6


   ひのないけむりのたつところ

じゅういちがつの そら じゅういちがつの こずえ
じゅういちがつになっても まだ
かえらない
ひだりての わるいくせ また みぎてに
かくして にちようび
きょうかいに いく げつようび
けっこんする かようび いちばに
でかけ すいようび むすことあそび
もくようび じゅういちがつの ひのひかり
きんようび むすめがうたい どようび
あさまで おどり にちようび
じゅういちがつになっても かえって
こない じゅういちがつ の かんじょう
ふゆごもり の ねむり の ために
あなたの ちとなり にくとなる
せいさん みみから はいる
かまどのけむり
きょうのうたをたたえて
たいむとらべらーずちぇっく
で おおもうけ
ひかりも みえない ほしに
たくさん いのちが
あるように きょうの
うた が まわり
つづける みらいのない
あたまの なかで はいざら
から ひが もえる みたいに
してください

(2007年11月20日 「いまからここで Vol.2」にて朗読)




7


[自然としての反自然]
 塩水が蒸発すると塩の結晶ができていく。ひとりでに、規則的な形になる、結晶するというのは不思議なことだ。物は、放っておけば散らかっていく、それが自然だろう。上空で水蒸気が凍れば雪の結晶になる。複雑でありながら対称性のある構造。どうしてこの形なのか、いかにしてこの形になるのか、分子と分子がくっ付き始めたとき、すでに決まっているのか、くっ付きながら決まっていくのか、なぜ別のくっ付き方にならないのか、不思議だ。そして、結晶は同じ形を繰り返す。リズムだ。
 分子構造がその形を自己複製するようになれば生命だ。それが化学進化だが、エントロピー的に反自然とも思える。自然の原理は死で、生は自然としての反自然なのでは。
 人間においても生命の基本はリズムだ。例えば、赤ちゃんが放っておかれれば、自然と空腹になる。秩序だっていた赤ちゃんの生体平衡は混乱してきて生は危機的になる。それに対して赤ちゃんは力いっぱい泣き始める。おぎゃあおぎゃあと全身で運動して深く呼吸を繰り返す、それが自ずと力強いリズムになる。自分のリズムを自分でつくっていることによって、混乱化に対抗しているのだ。(D.スターン『もし、赤ちゃんが日記を書いたら』)
 詩の韻律は息継ぎ(ブレス)の身体的律動感にある。どちらも、死という自然に反抗する、生きている自分のリズムであるからだ。




8


[信じ合えるもの]
 グローバリズムとかグローバル化というのは、人々が共に信じ合えるものがお金だけになっていくことだと思う。それが世界を悲惨にしている。結局当てにしているもの・当てにできるものはお金であることを否認できない。自分個人で何かを信じていることはできるかもしれないが、不特定の人とお互い信じていると信じられるものはお金だけであろう。どんな関係でもお金の関係にする、生活に市場化が浸透している。
 国はそれほど信じられていない。国から自立できないから依存している。それに、権力を暴力として行使されるおそれがあるから、おとなしく税金など取られている。これで選挙権まで放棄していたら、年貢を納めて支配されていた昔の百姓と変わりない。
 お金は、お金であるだけでなく同時に商品でもあることにおいて、神と異なる。お金の発行は今のところ国が独占している。この独占も暴力かもしれない。為替レートの変動は、国が信じられていることは相対的であることを示している。地域通貨は、暴力に代わる力があれば続けられるのだろう。  かつては自然が信じられていた。自然との関係で生きられた人は個人として強くなれた。





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