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 声=詩=音楽であるようなパフォーマンス、つまり、ポエトリー・リーディングというよりポエトリー・パフォーマンス。様々な詩人、音楽家、アーティスト達がそれをやっている。Poetic License GIG も、段々、voice - poetry - performance として、ポエトリー・パフォーマンスを追究したい。

 2007年11月4日のGIGでは、W.ホイットマンと富岡多恵子さんの詩を取り上げた。それから自作の詩を朗読した。
 富岡さんは自作朗読をされているし、うたや語りの観点から批評的に現代詩を考えてもおられる。だから朗読してみるのに向いている。
 いわゆる現代詩は、観念が、黙読される前提の語い、こった詩語で書かれている場合が少なくない。富岡さんの詩は、やはり抽象的に言葉を言葉自体として扱っている感じはする。しかし、観念的であっても口語的という感じだ。この口語的というのは、日常生活レベルの言葉遣いそのままということではない。モダニズムのセンスやクールさがあり、知性のいさぎよさが感じられる。
 また、富岡さんは、鈴木志郎康さんの詩を論じた文章の中で、「コトバのアルテ・ポヴェラ」ということを書かれた。このキャッチフレーズは、むしろ本人の詩を読む手がかりになりそうだが、それだけでなくさらに示唆的なものに思える。
 ホイットマンの詩は、英語にくわしくない私が読んでもアピール力が強い。詩の言葉を声にして発してみたくなる、生命感を高揚させる感じがある。それで、私の英語の発音などあやしいにも関わらず朗読した。




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 W.ホイットマンは1819年生まれ。1840年代の初め頃にニューヨークに出て民主党員となり、演説活動や記者・編集者の仕事などしていた。しかし、当時の民主党は南部の奴隷制派と妥協していたこともあって悩み、脱退する。(1861年に南北戦争が起こる。)彼は、その後も、新政党に参加し、政治ジャーナリズムで働いた。だが結局、1850年頃にはそれらに幻滅して離れている。大工仕事で生計をたて、読書や詩作にふける時期があり、1955年に詩集『草の葉』Leaves of Grass を出版する。彼は、没年となる1892年まで『草の葉』の増補改訂を繰り返した。
 ホイットマンの口語自由詩の文体は、預言者的でもあり、政治演説のように雄弁でもある。聖書、ブレイクなどイギリス・ロマン派、エマソンらの超絶主義、などの影響があった。拡張的な自己をアメリカの野性的な力として肯定し、アメリカの民衆に同一化し、アメリカン・デモクラシーの詩的・汎性愛的でもあるヴィジョンをうたっている。
 ホイットマンの影響は、1910年代にはサンドバーグなどシカゴ・グループに民衆性や自由詩型として受け継がれ、また、W.C.ウィリアムズから、ギンズバーグなどビートに続く流れとなっている。
 日本へは、明治期に夏目漱石、高山樗牛、野口米次郎、内村鑑三らによって紹介され、白樺派や大正期の民衆派は強い影響を受けた。1908年、岩野泡鳴はホイットマンの影響を受けて日本語の口語自由詩を書いた。




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 私は、自作の詩は音読するものという前提で書いている。漢字は、視覚的に意味が伝えられる文字で、漢字の熟語は書き言葉が多い。オーラルに伝わりにくいこともある。そのため、できるだけ耳から伝わりやすそうな言葉を選んで、ひらがなで書いている。


  せいにする

あさまで むしが ないている
いまは まだ なくとき
かおを あらって いると
ことりの こえがする
ぶったこが ぶたれたと
いって なく
またいつか ある
とき なかせて なく
いまは かおを あらって
そらで とりが なく
うそなき だって
まねじゃない の
くやしい だけ
でも
ないている
ちいさな
とき

(2007年11月4日 「朗読GIG」にて朗読)




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 ひょうたんから駒が出る、ということわざがある。これは、ひょうたんから米が出る、が元の形で、それが変異したのだそうだ。コメ→コマ、つまり、m・e → m・a 、という母音・子音の組み合わせ一つが入れ換わっただけで、多少意外でも実際ありそうなことの記述(ひょうたんから、しまい忘れていた米が出てくる)から、ありそうにないイメージの表現へと飛躍してしまった。
 言語は組み合わせシステムみたいなもので、それがいわば突然変異した例だ。皆がこう言うようになったからこうなったのだ。社会の無意識があらわれたようなものだ。どうしてこう変わったのか、きっかけは偶然なのか、分からない。こっちの方が面白いから、皆が言葉の快感を感じられる方向に進んだのか。
 金持ちが天国の門をくぐるのはらくだが針の穴を通るより難しい、という言葉もある。この表現も印象的だ。ただ、かなり昔の資料には、太い縄を通すより難しい、となっているのもあるそうだ。だから、原語でどうなっているか知識がないけれど、もしかしたら、言語の小さなシステムエラーから、詩的な表現が生まれていたのかもしれない。





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