No.8

2007年5月27日 発行




詩の通路 自賛


 2005年、シアターXは2年がかりのブレヒトの企画に取り組んでいた。その頃、劇場のプロデューサーは次に何をするか色々考えていたのだろう、詩をやりたいと口にすることがあった。そこから、ひょうたんから駒のようにこの企画が実現した。

 もともとシアターXには一種の反骨精神があり、それはやはり単なる箱モノにはない劇場の文化だ。それゆえに、このつかみどころのない企画も通り、私たちは続けることができたと思う。


 「詩の通路」はノンジャンルの試みだ。方便としては、声・詩・音楽のパフォーマンスと説明している。しかしそれは、詩の朗読と音楽の演奏を足し合わせることとは違う別のことをしようとして、そういっているにすぎない。それがどういうものか初めから分かっているわけではなく、むしろその何か別のことを追究するために「詩の通路」を続けていたといえる。

 しかし、この企画を始めてみると、案外多くの人は自分のやりたいことをジャンル化しているように思えた。まして「ゼミ」などと称しているものには、専門の知、有用なスキルなどが期待されるようだ。


 一般的に考えると、人は制度化された対象に自分の欲望を同一化させ、それを共有する共同体に自分を同一化させる。また例えば、近年の傾向として、人の価値や信用を、その人の資格や免許で認証したり評価したりするようになっている。

 なぜそうなるのだろう。もちろんそのことを懐疑的に考えている人も多い。だが、その先を想像しようとしても、多分想像力自体が現状の内部の制約から出られない。

 人は自分の同一性をもとめるために他のものに同一化する。そうしないと生きられないと迫ってくる圧力がある。それは、権威主義ともいえるし、つまるところ愛国心教育みたいになる。もし自分で同一性をもとめないとするとどうなるだろう。


 詩を書くことは、与えられている現実を否定することではないだろうか。自分では詩を書いたつもりでも、そんなものを詩といえるのか自分ではいえない。芸術には自律性があり詩もそうだが、それは自己目的化と同じではない。そのために、詩ではなく「詩の通路」という問題設定をした。通路ゆえに詩が詩としてありえる。


 今回公演する「詩の通路・ゼミ」は、個人的には専門家もいるけれど、全体としてはノンジャンルな集まりになっている。「詩の通路・ゼミ」がここまできて、通路という抽象概念を実在的に考えられるような気もしている。詩の外部とか詩のアクチュアリティとか詩の公共性とか言ってしまっては失われてしまうものがある。

 「詩の通路・ゼミ」参加者それぞれが、自分のものをもっている。公演は、共通のテーマから割り振るというより、個別のものを集めて創る。そのために、各々個人で自分のパフォーマンスのイニシアティブを取ることを原則にした。実際には協力しながら創るけど。

 タイトルの「マルチローグ」は造語だ。同一性に還らない対話、同一化されない集団の発話行為、不協・和音というより不協和・音の出来事。


 私は、「詩の通路」の期間を通じて自分が書くものが変わったと思う。変化は他にもある。それは、「詩の通路・ゼミ」参加者の方たちとの交わりによって、一人では考えつかないことを考えさせられることがあるからだ。「詩の通路・プロデュース公演」との関わりにおいても、そういうことが多かった。

 関わった人たち各々に変化がある。それらの変化が「詩の通路」の収穫なのだと思う。


原牧生(打落水狗  DA LUO SHUI GOU)

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