No.7

2007年2月21日 発行




「通路」のつくり方・みつけ方


 2月21日の公演を前に、高橋悠治さん、AYUOさんとお会いして、お話をうかがうことができた。「詩の通路」公演シリーズに当初から高橋悠治さんに加わっていただいた理由は、ひとつには、声・詩・音楽のパフォーマンスというテーマにとって重要なアーティストのひとりであるからだ。それから、「詩の通路」という企画の成否は、単発の公演というより「通路」の現実化いかんにかかっている。そのうえで、音楽の枠を超える運動のことで、学ぶべきことが多いためでもある。今回は聞き手も三人いて、お二人から色々なお話をうかがった。以下にいくつかの話題ごとに書くことは、お話の想起再現というより、筆者の問題意識を反映したものになると思う。


 2月21日の公演は一部と二部に分かれ、一部は高橋悠治さんが中心に構成し、二部はAYUOさんの作品の演奏になる。AYUOさんからは、事前に作品についての資料を送っていただいていた。作品と自分との関係、一見抽象的なコンセプトも自分にとっては存在に関わっていることが説明されていた。高橋悠治さんからは、公演で使われる、以前に書かれたものや作曲された楽譜を見せていただいた。舞台のパフォーマンスは、読む声、歌、パソコンや楽器の演奏から成る。作品(上演される表記物)は、その人の日々の営みを舞台の時空間に変換するもののように見えた。高橋悠治さんの作品は、カフカがしていたような、書くという営みがこめられている感じがした。


 『冬の旅』。高橋悠治さんは、昨冬、斎藤晴彦さんと、日本語訳シューベルト歌曲の演奏会を、松本、金沢、北海道や東北のいくつかの街、葉山などを巡って行なった。それは、プロモーターの一括手配の興行ではなく、水牛が情報を集めてまとめ、各当地の公演プロジェクト(情宣やチケット販売など)をコーディネイトしたのだそうだ。それらは、「(演奏会という)やることの条件があって、あとは、そこにいる人達の可能性をたどる、色んなことをやっている人達がある企画で結び付く」ことであったそうだ。場所は、コンサートホールに限らず、演劇の劇場や美術館、病院のロビーもあった。関わる人達が違い、来る人達も違っていたそうだ。


 『高い塔の歌』。1980年代に、水牛と如月小春さんのコラボレーションがあった。これについて、「後になってからみれば、70年代後半の市民運動の後、水牛は何をするかということもあったかもしれないけど」というようなことを話された。北海道で巡業もされたそうだ。こういうパフォーマンスに人が集まる、シーンの活性があったということだ。当時の消費社会文化の真只中に出ていて、ポストモダンらしい戯れのようにもみえ、しかし売れそうな商品のテイストとは異質なものだった。日常会話を台詞にして言っている断片がつながれていたり、子どもの遊戯のような、身近な言葉を輪唱したりするゲームがあったり、合奏したり歌ったりしている。

言葉の素材は全部如月さんが書いて持って来たのだそうだ。歌も、彼女の劇から取ったものを変えたそうだ。素材をパフォーマンス化していく割り振りは、基本的に高橋悠治さんがされたようだ。しかしそのやり方は、やる前にどうするか決めてしまうのでなく、やる人各々の条件に応じつつ、少しずつ修整しながら面白くする、ということだった。「やる前にルールや方法論を決めない方がいいし、やってみたことを話し合うならともかく、まだやってないうちに話し合ってもうまくいかない」と言われた。面白くするというのは、まず、「やっている人にとって面白くする」。そして「それが観客に伝わることに賭ける」と話された。市民運動の現場から都市の消費生活にまたがった水牛の活動は、「詩の通路・ゼミ」にとって示唆的かもしれない。このコラボレーションは、創っていく過程は別かもしれないが、本番前に三回くらいの練習で公演されたそうだ。


 「20min.」。AYUOさんは、ライブハウスで複数のアーティストが一人ずつ順に20分間パフォーマンスするという企画をされている。AYUOさんは人だけ選び、順番は当日くじ引きで決めたそうだ。ほとんど最小限の組織化のやり方ではないかと思える。そこでやることも、その人それぞれだ。ただ全くの即興ではなく、やることは考えておいてもらって持ち寄るというかたちだ。一人ずつやると、他のアーティストからも観られるし、他のアーティストを観ることにもなる。そして、アーティストどうしはライバルでもあるので、お互いがお互いを観て張り合うようになってくると話された。そういう相乗効果は、当事者におききしなければ分からない。やはり、まず、やっている人達から面白くなっていくやり方ではないかと思う。また、ソロプレイだけではなく、共演の時間もある。


 ネットやメディア。「通路」は、流通の仕掛けとして具体化を目指して考えたいことでもある。高橋悠治さんは、ネットで楽譜の配信をされたり、サイトが生きている状態を保つため定期的に更新されたりしている。サパティスタの例もあげて、特定の場所を越えてバーチャルなつながりが広がること、言葉がネットで広まることを話された。

(メキシコは1910年代に始まったメキシコ革命以来、反米的ナショナリズム、独自の混合経済の国としてあった。しかし、80年代から経済危機が深刻化し、92年に脱革命的に憲法を改正、90年代に新自由主義経済体制へ大きく転換した。急激にアメリカ資本が進出し、人々の生活も価値観も変えた。サパティスタ民族解放軍[EZLN]は、南部チアパス州のマヤ系先住民を主体とするゲリラ組織で、94年にそのような状況に対して武装蜂起した。チアパス州は貧しい山地だが、インターネットで情報を発信し、国内および国際的な支援活動をあつめ、革命は継続しているといわれた。)

 AYUOさんは、ご自分の楽曲が、比較的安価で、音楽配信サイトから聴けるようにされているそうだ。しかし一般に、音楽のネット配信は、ヒットチャート上位の比較的短い曲に片寄りがちで、作品性のある長い時間になるような音楽はあまり聴かれないのではないかとも言われた。

また、検索から、何人かの海外の詩人の朗読は、パブリックドメインから聴くこともできるそうだ。だがそれから著作権の話になり、適用の場合分けや煩雑な手続きなど、うかがっていて、著作権やパテント類の肥大化は相当不条理化しているような感じがした。

 それから、おしまいに、今後のご予定などおききした。高橋悠治さんは、4月に無声映画『狂った一頁』に音を付け、上映会で演奏されるなど、AYUOさんは、4月にダンサーとコラボレーションする公演をされるなど、ということだった。


 お話をうかがいたいテーマは他にも色々あったが、わざわざお時間を取っていただき、貴重な機会だった。またいつか、詩や音楽の仕事(function)のことでお話できたらありがたいと思う。


原牧生(打落水狗  DA LUO SHUI GOU)





人々が集い、即興。


 わたしは比較的人より遅く音楽をはじめた(楽器を弾きはじめた)。18才のころだから、もう基本的な人格は形成されていたといってよく、誰からも強要されることなく、若者らしく? もどかしい自己表現のはけぐちとして楽器を手にしていた。大編成のオーケストラに憧れることはなかったが、小さなバンドのようなものへの憧れはあったのだと思う。それでも「バンドやろーぜ!」といった積極性はなく、かといってひとりで弾き語りで歌を唄うのも残念ながらわたしには恥ずかしい。大学で、音楽的にはさほど興味のなかった jazz のサークルに入部したのは、帰属意識の強いロックバンドのような強固な共同体ではないモダーンジャズのセッションのグループの作られ方の方が、自我の置きどころとしては丁度よかったからかもしれない。つまり、若者特有の過剰な自意識で自己確認を表現行為に希求すると同時に、コミュニティーのあり方そのものの中にそれを探ろうとしていたのだろう。ジャズから発して、さらに中心的な求心力を希薄にした状態を求め、アナキズム的な倫理に魅せられれば、一も二もなくフリーインプロヴィゼーションの方向へ向うのは必然の流れだった。好きなことを好き勝手にやること、その瞬間にこそ生きている証があるのだ、と。それから十余年、セッションやらバンド、劇団やら、パフォーマンスグループやら、時には商業的な媒体やら、文化財的な伝統芸能の世界、地域コミュニティーにも関わりながらさまざまな組織をつくったり、属したりして、さまざまな時を過ごし、さまざまな価値観に触れて、疑問も感じながらフリーインプロヴィゼーションのセッションは、おおきな拠り所であった。


 さて、自分が暮らす東京だけではなく海外や地方都市、また屋外、学校、福祉施設、会社、任意団体の企画、よくわからない集まり等、通常音楽作品を発表する場ではない場での演奏や共同作業の経験を重ねてゆくなかで、これらの出来事をふりかえってみると、音楽美学的な分析や、哲学的な思弁はあまり有効ではなくなっていった。楽譜(作家)や、伝統的慣習(メロディー、 リズム、ルール)などを中心におかぬことによって誰でも参加可能なその音場は、音楽的には特に西洋古典音楽的な思索としての作品性は志向せず、むしろ出来事、現象としての人類学、社会学への志向こそ有効になってくる。また逆にいえば、人類学、社会学的な分析の対象としてインプロヴィゼーションの現場があるといってもよいのではないだろうか。即興の音場を非国家的なユートピアのフォ−クロア空間と捉えることもできるだろう。またいわゆる音楽的な哲学性や娯楽性を提供することともあまり関係がない。しかし楽器を弾いたり、唄ったりすることは、基本的には身体的、表現的領域に属する行為でもあるから、時にそれは「音楽」的、「芸術表現」的な慣習に則った美的な現象が伴うことはおおいにあり得るし、非常にユーモラスな瞬間も多い。 なにが起こるかわからないこの場では、殊更強調して伝統的慣習から逃れようとすることや、 唯物的に音響(音)を配置することもまた、一つのイデオギーや美学に過ぎない。しかし out low で非国家的な音場は、結局、自治のシステムや他者との倫理的な関わり(助け合いの精神? 共生? )からこそ逃れ難い。

 そこでインプロヴィゼーションの経験や分析を社会化して、ひとたび方法として作曲(テクスト、プレテクスト)化してゆくと、私の場合は、どうしてもブレヒトの教育劇や、コーネリアス・カーデューやクリスチャン・ウォルフら、これらもひとつのイデオロギーだとしりながら共産主義、社会主義の論理や倫理に関わる方法に有効性を認めてしまいがちだ。そもそもわたしがこれらのマルクスを援用する方法論に有効性を認めてしまうのは、まずテクストのない集団即興に芸術の枠組みを越えたユ−トピア性を現前に認めているからであり、且つその不可能性もまた現前しているからであろう。ここでこころみられている方法は現在ではもはや通用しにくい、革命、自治、自立を前提とした自由への指南である。しかしグローバリゼーション化する社会においてはますますその不可能性を露呈するだろう(すくなくともマルクス史観に則れば)。その音楽は、あなたの賃金を消費させる音楽か? あなたが賃金を搾取されないために存在する音楽か? その音楽は、格差を拡張する音楽か? 是正する音楽か? その音楽は、差別を助長する音楽か? なくす音楽か? 音楽的な美学の中ではこの問い、観点は成立しない。しかしいったい、たとえばその問いの前で楽器や声を用いて私達は何ができるであろう?

 情報量や不確定要素の多いインプロヴィゼーションは、その速度や不意な他者の介在によってリアルタイムに意識下や無意識の領域にもおおく関わるので、結果としてそれらに答えうる要素が孕んでいる可能性があるといえるが、たとえば上にあるような問い自体を明確に提示することを目的とはしない。方向性や目的をもたぬ出来事としての「即興」はどんなに異化されていたり、 ハプニングを生じさせたとしても社会生活、 日常生活へと延長されなければ、 鑑賞物としての「作品」として完結してしまう。せいぜい即興という音場は、なるべく劇場やライブハウスといった鑑賞のための空間からは離れてゆく方がいい。


 2006年9月の「詩の通路」第3回公演では、出来事としての集団即興をあえて少し広めの舞台で「演じて」みた。観客からこんな意見をいただいた。「なんだかみていて恥ずかしくなってしまった。」と。まっとうな意見だとおもう。演奏家達は、汗を流しながら演奏した。ちょっと複雑な仕掛けに四苦八苦しながらの演奏、唄や踊りもあった。そこでなにが起こったのか、演じている私達も理解、把握出来なかったであろう。統一感、中心がないのになんだか一生懸命やっている。みていて恥ずかしいはずである。ひとりは、工場で単純作業をし、ひとり(2人?)は SEX をし、ひとりは公園のベンチで読書をしている。ひとり(4人?)は雀卓を囲んで麻雀しているようなものだ。そんなことが目の前の舞台で行われていたら、恥ずかしかったり、しらけたりするだろう。そのお客さんは、こんなアドヴァイスもくれた。「もっとライブハウスのような小さな空間なら恥ずかしくなかったかも」。たしかにそれらを小さな空間に凝縮すれば、熱気は一つの固まりとなってライブ空間を充たすであろう。しかしいま、ばらばらで朧げな背景を持ったデモ行進が一方向に進んだところでなにが揺らぐというのだろうか。だからとりあえず解体し、即興したのであった。ばらばらの意志を持ち、時には壁で分断された人々が関わりを持つためにはもっと、耳を開くことが必要だろうか? コンピューターのネットワークも、もっと必要だろうか?


 「詩の通路」は両国シアターXでのプロデュ−ス・シリーズ公演という形では、あと二回となった。この文章中のいくつかの自問を、「詩の通路」ゼミや、あと二回の公演をふくめた今後、「詩の通路」第1回公演でも共同作業した演出家大岡淳氏、加古貴之氏らとの新しいユニット「普通劇場」での活動、文芸評論家青木純一氏のメールマガジンでの即興をめぐる対話の礎にしてみたい。


河崎純(打落水狗  DA LUO SHUI GOU)

ニュース・レター

詩の通路いまからここでharamakio PLG震える石砂の舞台 | ニュース・レター