No.9

2007年10月25日 発行

デザイン・編集:三行英登

カバーアート:ソシキダイスケ〈呼び声〉


ニュース・レター

詩の通路いまからここでharamakio PLG震える石砂の舞台 | ニュース・レター

詩の通路の経緯
原牧生


 詩の通路は、2006年より、両国にある劇場シアターX(カイ)での企画として始まった。声・詩・音楽のパフォーマンスをテーマにして、6回の公演をプロデュースし、詩の通路・ゼミを32回行なった。詩の通路・ゼミは、自由参加型の少人数の集まりで、参加者それぞれがやっていることや考えていることを話し合ったり、参考のCDを聴いたりしていた。2007年5月27日には、詩の通路・プロデュース公演第6回として、ゼミのメンバーで公演を創った。そのため、ゼミの終盤は、ほとんど公演参加者の集まりになった。ゼミ公演を終了して、シアターXの企画としての詩の通路は完了した。しかし、ゼミ公演参加者の集まりは自主的に続けられることになり、今のところ月に一回程度集まりを開いている。公演後に新たな参加者も加わった。会合日は多くないので、メーリングリスト上でコミュニケーションを補っている。

 詩の通路に関わっている人それぞれに、詩の通路のイメージがあるのだろうと思う。それぞれの人にやっていることがあり、詩の通路の集まりの中で、自分の活動を紹介し合ったりしている。また、それを何人かで一緒にやるようになったりしている。詩の通路として組織的に統一を取って動くというより、個人参加の集まりでやっている。こういうニューズレターも、色々な声をのせられたらいいと思うが、詩の通路の社説みたいなものは多分出ないと思う。それぞれが自分の立場で書くしかない。ただ、詩の通路の共通感覚みたいなものはあると思いたい。

円形劇場、または「広場」にて ─モモ作曲ノート─
河崎純


 音楽は時間芸術といわれますが、時間についての物語である『モモ』には、実際音楽が鳴り響いている。静寂までもが音楽に聞こえてくるというのに、それを読む私には、そこに響く音楽を描写して再現させることができません。また、主人公や登場人物になりかわってその心理的描写を、主観的な印象(イメージ)で表現することも私の方法ではありません。
 都会に生活し、時間にも追われているわたしが『モモ』から音楽を作ることなど、そもそも無理ではないか? しかしそれでもただ一点イメージに頼るとすれば、モモが口ずさむメロディー(歌)です。それはきっと誰もが口ずさめるはずなのに、忘れてしまった歌。モモはそれを何気なく口ずさんでいる。
 幸運にもそれは私の「歌」というものに対するイメージでもありました。芸術や芸能でのありかたのように「表現」として独立しているものだけではなく、むしろ私にとって歌とは、たとえば何らかの日常的な所作に伴って口ずさまれる旋律、喜怒哀楽から少しはみ出てこぼれてしまった声、などです。それを歩きながら口ずさめばリズムが生じ、止まって息をしずめればそこにはまた別の、身体のなかのリズムが聞こえてくるでしょう。
 こうして、私にとっての歌の原イメージに忠実に、21章の物語を追いかけながら、まず21の短く、断片的なメロディーをつくりました。それらの短い歌が、複数の場所から同時多発的にざわめいている状態。すなわち中心のない世界像。それは私のなかにある無神論的なユートピアへの希求かもしれません。

 ところで『モモ』とは、時間の所有、愛の所有、お金の所有についての物語です。しかし現実の世界に生きる私は、所有という概念のないユートピアの夢想にふける生活を送ることはできません。
 所有という概念について考えると、聖と俗の二元論で考えられるものではなく、ロジェ・カイヨワのいうように、たとえば「遊び」という三次的な概念も考えてみたいと思いました。そんな思考や解釈の実践の場として、「音楽」という遊戯的な「広場」を設定することこそ、わたしにとっては創作の動機となるのです。

 私は広場で音楽を歌い、奏でてみたい。誰もいない広場で、仲間や家族のいる広場で、見知らぬ人々がたくさんいる広場で。

 ところでその「広場」とはどんな場所でしょうか。「広場」はどんな社会でしょうか。「時間」や「愛」や「お金」についての所有という概念を哲学的、観念的に一気に原点にむかってさかのぼってゆくよりは、まずその概念をめぐる地平を、社会学的モデルを意識して状況を見立て、そこに21の歌(メロディー)を混在、共有させてみたい。そんな想いから着想を得てこの曲をつくってゆきました。

 一般的に音楽がつくられる場は、個人や特定の集団による内省的な場が想像されます。すなわち作曲家(=芸術家)というものに対するイメージでしょうか。むろん音楽や芸術にそのような側面があることを否定はできません。
 たとえば「苦悩する芸術家」ベートーヴェンを聴き、演奏する魅力は主にそこにあるのでしょう。私自身合奏ではなく、コントラバスの独奏、無伴奏による演奏を意識して音楽をはじめましたが、そこには密室の書斎で詩作する詩人、小説家、哲学者、アトリエでキャンバスに向う画家、机の五線譜に向う作曲家の孤独な観念的内省への憧憬もあったのだと思います。独奏とは文字どおり一人の世界ですから。もちろん一人が奏でる音楽もこの世界を表現しうるとおもいますし、それは私にとっていまなお、大切な時間です。先程「広場」で音楽を奏でたい、と書きました。しかし厳密にいえば、私はいま、開かれた「広場」で音楽をつくってみたいのです。さまざまな人達とともに。そして私が「作曲家」として存在しうるとすれば、それは「広場」での音楽の作り方をあらかじめ少し準備することかもしれません。
 そしてその音楽を、人間とは社会とは何ぞやといった哲学的に普遍性を求める探究行為というよりは、むしろ「音楽は社会そのものだ」とシンプルにいってみたいのです。芸術的達成を必ずしも第一義的に考えない、音楽のこのような存在の仕方を私は、長く続けてきたテクスト(楽譜)の全く存在しない即興演奏(フリーインプロビゼーション)の合奏と、ベルトルト・ブレヒトの演劇、とりわけ教育劇に取り組むことによって学びました。
 そういえばこの「モモ」の作者ミヒャエル・エンデは、若かりし頃ブレヒトの演劇に傾倒し、演劇の道をこころざしましたが、ブレヒトのマルクス主義的な革命的演劇論に身動きがとれなくなって演劇を断念したそうです。しかしそれ以後ブレヒトの理念を離れ、エンデの想像力は数々の作品へと花開いてゆきました。さて私は? という個人的な未来にも興味はありますが‥‥。

 最後に、音楽のもつ哲学的な芸術性や、娯楽性からはだいぶ逸脱したこれらの問い立て方を、音楽の演奏という形で共有してくれた演奏家の皆様に感謝いたします。私はこの曲を演奏(play)する際に要する演奏者の創造性や即興性が、願わくば来たるべき「社会」のモデルになりうる、と信じております。(2007年7月)

◎この文章は、2007年11月10日、11日に京都の千麗舞山荘というところでおこなわれた、照明と音楽のパフォーマンスのプログラムノートの為に書かれたものです。

フォークロア、声の複数性、無数の声に関するメモ
植松青児


メモ1


 「詩の通路・ゼミ」では今年(2007年)6月からメーリングリストを開設し、お互いの情報交換の場の一つとして利用しています。そのメーリングリストで9月中旬頃、中川ゆかりさんが書かれて投稿された文章に私は触発されました。今回はそのことについて書こうと思います。

 中川さんがMLに書かれた文章の中で、私が触発されたのは以下の部分でした。

 「今日ふと思ったことですが、フォークロア(とくにことばとうたと、音楽を伴うもの)というあり方が気になっていて、民間伝承だったり、人口に膾炙するという状況だったり、ほんとのほんとのフォークロアてなんだろうかって考えてきたいと思ったり、フォークロアとしての詩であってこそ、広場でうたわれ、人の間を流れていくんじゃないかなって、そもそもこの言葉の定義すら適当に使いすぎていてなんかあれですけれど、そんなことをほやーっと思いました。」(注;引用にあたって改行を省略)


メモ2


 中川さんの文章を読んで、私には同時にいろいろな思いが湧いたり、いろいろなことを想起しました。たとえば、ケルトの伝承歌『バラッド』の代表曲の『スカボロー・フェア』のことを。39歳で病没した戦前の詩人・小熊秀雄が、20代の頃に創作した童話『焼かれた魚』のことを。あるいは平井玄さんが、かつてボブ・ディランについて述べた、以下の言葉のことを。

 「詞よりもメロディよりも、この声にショックを受けた。若いのか、年寄りなのかわからない。ただ嗄れているというだけではない。三つくらいの声が同時に聴こえてくる。それが皆別の方向に飛び散ろうとして、歌の中でぶつかり合っている…そんな風に聴こえた」(毎日新聞社刊『引き裂かれた声』所収)

 平井さんが「声にショックを受けた」というのは、初期の代表曲である『風に吹かれて』についてですが、この曲の前半部分は、実は『No more auction block』という黒人伝承歌のメロディをそのまま流用したものです。auction blockとは「競売台」のことですから、題名は「競売台(に立つこと)はもういやだ」と訳するのが適切でしょうか。

 私はディランの経歴についてあまり知らなかったのですが、ディランが10歳(!)のときに家出して黒人ストリート・シンガーたちについて(ミネソタから)シカゴまで行ったことなどを、平井さんの文章から知りました。


メモ3

 平井さんの文章のことを考えると、必ず思い出すのは詩人の伊藤比呂美さんが96年の「水俣・東京展」のパンフレットに寄稿した文章のことです。今日、ひさしぶりにそのパンフレットに目を通してみました。ああ、伊藤さんはこんなことを言っていたのか。

 「熊本に来て、しばらくして、石牟礼さんの『苦海浄土』を読んだ。はじめて読んだ。それまで興味を持たなかった。だいたいわたしは、外界のこと、手や皮膚で触れられないようなものに興味を持たないのだ。それが、ある日ふと手に触れた。ことばは、石牟礼さんによってあつめられ、書くことで再生されたものにちがいない。それなのに、ことばは声になって、立ちあがって、こっちにむかってきた。乳首からほとばしる乳、暑さと湿気で繁茂して何にでも這いのぼってくる草々の蔓、そんないきおいで、身体の中に入りこんでくる感じがしたのである。」

 「はじめて石牟礼さんに会ったのは、それから何年もたって、やはり夏の終わりの、夕立の頃だった。おまんじゅうを食べるとか、沖縄に行ったとかそんなはなしをしただけなのに、石牟礼さんの声は、いちいち、いろんな人の声が集合しているようにひびいた。」

 「原田正純さんを知って、その著書を読んだのも夏の終わりである。原田さんは医者であって、詩人や霊媒じゃないのに(メディシンマンではあるかも)そのことばからも、おびただしい人々の声がきこえてきた。わたしは思わずそれに耳をすました。」


メモ4

 ここまで、声の複数性に関わる言葉を紹介してきました。フォークロアを一般化して語ることは避けたいと思いますが、複数の声を、複数の物語を想起させる力がいくつかのフォークロアの中に確実にあると思います。そして、そのようなフォークロアの聴き手は、複数の他者の声を想起しているだけではなく、聴き手自身の中にある「複数の声」「複数の物語」をも同時に想起しているのかもしれません(それはおそらく無意識のうちにでしょうが)。

 そのうえで私の問題意識を述べると、もともと声は複数存在していて、つまり声はひとりひとりの外にも中にも無数に存在していて、しかしそのほとんどは微弱であるゆえに届くこと、出会うことができません。その無数に存在する声のいくばくかと出会う媒介、出会えない声を想像する媒介や契機、さらには聴き手の中の無数の声が殻を破って流れ出す契機として「フォークロア」を位置づけることはできるだろうか。フォークロアを契機に無数の声が交錯する場が生成できないだろうか。そして私は、『スカボロー・フェア』と『焼かれた魚』を手がかりに、そのような場を作ることはできるだろうか?と考えをめぐらせているところです。

広場にて、音楽に焦がれる
中川ゆかり


「たとえば私が、花!と言う。すると・・・(中略)・・・[声を聴く各自によって]認知されるしかじかの花々とは別の何ものかとして、[現実の]あらゆる花束の中には存在しない花、気持ちのよい、観念そのものである花が、音楽的に立ち上がる」 『マラルメ  詩と散文』(ステファヌ・マラルメ著  松室三郎訳  筑摩叢書)

言葉は圧倒的に忍耐強いなぁと常々思っていて、それというのも、読まれるのを待っている言葉たちが、それらは古から紡がれ、口承、語り継がれることで欠けては足され、あるいは書物の中でいまだ気付かれずに音にされるのを待ち続ける文字たちが、それはもう膨大に既にそこには在って。それはそれは、あまりに果てしがないものだから、ほんの少しその片鱗に触れただけでも、なんだか途方にくれてしまいます。(触れえた気がしているだけかも、なんて。)

語られる言葉が、ここにあること。

それらは、それを通すことのできる、つまり表す/現すための媒体を、じっとそこで待っている。ひそかに。埋められたままの無数の言葉たち。

そのときその場に居ることに徹すると、

しみこむわ 流れるわ そそられるわ つかまれるわ、で あふれるでしょう。

頭のてっぺんからつま先まで全身が耳で、音との出会いの中で生まれては瞬間に消えてゆく声になれたらいいのになぁ、と、今日のような広場にいると、つい思ってしまいます。

今回は、詩と一緒に、小説をテキストとして、声にすることとなりました。

それがさもわたしのことばのようでありながら、ここにいるあなたのことばでもあるような、はたまたはるかかなた、かつての、いつかの?どこか遠くの誰かのことばでもあるような。

無名の声として流れてくる、聴こえてくる、そういう言葉、そういう声、音として。

詩、がここに在る。

そういうことばを声にすることを、うたう、といい、それができる器のような在りようを、俳優と呼びたい。私は今とりあえずそういう風に考えていて、そこから出発しようと思うのです。

わたしとあなた、わたしたちとあなたたち、おんなじときのなかにいる、この不思議。いまからここで、何が生まれてくるのでしょうか。どんな関係を、築けるのでしょうか。

「いまからここで」は始まったばかりです。
地べたを這いながら、あたかもこのときが夢だったかのようにしてしまおうと、もくろんでいたり、いなかったり。はるかかなた、どこか知らない遠くまで、てくてく歩いてゆこうと思います。〈「いまからここで」公演パンフレット(2007年10月)より〉